Thursday 29 September 2011

野田村研究会 1







































































































下記に、私の研究会メモを入れておきます。
あくまで個人メモですので、何処まで参考になるかはわかりませんが、いらっしゃれなかった方々には何かあったほうが良いと思い入れさせて頂きます。
タイプミスや個人名、固有名詞が追い切れないトコロ、敬称略などなどご了承ください m(_ _;)m



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野田村研究会 2011.09.26 mon 10:00-12:20 @野田村現地事務所

専門職をいかすー 現地事務所の利用法

《参加メンバー 自己紹介》
永田@京都大学 社会心理学グループダイナミックス
小谷田@弘前大学 人文学部 経済産業組織論
日野@弘前大学 人文学部 行政法 社協、ボランティア、行政のコンビネーションを中心に研究
李@弘前大学  労働経済学 ワカモノの雇用
外舘まちこ@八戸 写真洗浄、炊き出しなど
中村かよこ@八戸 カメラマン
岩堀@京都大学生 ボランティア
飯島@弘前大学 人文学部 経済学 田野畑に同級生:ローンあり 老人:ローンはないだろうけど・・・・?
矢守@京都大学 防災研究所勤務 文系の社会心理学、防災教育、NVNAD理事 神戸の実績みている 社会心理学グループ・ダイナミックス
貫牛@野田村 村づくり
渥美@大阪大学 人間科学研究科 社会心理学グループ・ダイナミックス フィールドワーク、NVNAD理事長
飯@弘前大学 人文学部 法学 被災地での法律相談
佐藤@dance なごみ体操、えぼし荘でのストレッチなどで野田村に来ている

浮木@八戸社会福祉教育委員会 社協で定期的に来るのは、今月でおわり ボランティアセンター
(挨拶で退席)



本日のTheme, Keywords

救援
復興
防災とは言わない

村の人を交えた復興談義
写真
仮設の見守り
ローン
老後、ボランティア、社協
サロン的に何をするか

話しをするにあたって
支援活動と研究部門を分けた方が良いのでは? Pending

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李@弘前 研究ベース
人文、法学、社会学、経済学   北リアスの復興を考える 『quality of life』
東大、社研の釜石研究をモデルにしている・・・・ この研究の途中で今回の震災がおこった

震災前ー震災後・・・ それそれをどう描くか。
戸別訪問を行い、ネットでも調査可能、アンケートとって 生活パターン 生業の仕組み  質問によって生活を見る

科研の申請に関して(以前のものをフォローすることが義務付けられている)  弘前大の新たな研究費用 あとでメールでよろしく。
*科学研究費補助金・・・ 国内の大学などの研究機関に所属する研究者が個人またはグループで行なう研究に対する補助金である。競争的資金の形態により、文部科学省およびその外郭団体である独立行政法人日本学術振興会を通して補助金が交付される。

貫牛さんより
生活パターン・・・昭和前半、働き手の多くは農林漁業+出稼ぎ、半農半漁
加工技術の展開はあまりない、商売は代々、若い人のタイムリーな企業はない(ちかくて久慈)
土建業は景気の良い時は多かった
年配の人が多くのこる
派遣業(出稼ぎ)のひと・・・同郷の繋がりで人を呼ぶ、企業ではなく、個人ベース
派遣業・・・最近はあった。


矢守ーー
アンケートを野田の方と一緒に作る、自分たち(村人)が知りたいことを折込むため
垣根を破ることが大事、当事者研究・・・自分たちで自分のことを調べる。 調べる人と調べられる人の距離をちじめる
その感覚での地域版にしたい(精神分析の話より)


科研にかんしてフィールドワーク、サーベイ、を折むのはどうでしょうか


昔の野田写真を引き出して、それをもとに話してもらう・・・
アンケート+フィールドワークに反映させることができるのでは


渥美
調査される迷惑・・・・にならないために
アンケート用紙はツール、写真を使って引き出すのは良いですね。

アンケート用紙を一緒に作れたら、それだけで、研究にもなるのでは


実践があたまにはいっている研究、をしている
研究と実践は近いはず

新潟でやっていること・・・ 分校
それをココでもできないか?
貫牛さんの野田 塩



寛牛
自分たちの村は自分たちで切り開いていた
それぞれが、こんな村にしたいという意識を皆、全員に持ってもらいたい
村民、みんなが関わるようなことを。
発言と行動が伴うとは限らない村人の性質、、、


@弘前
野田にいるけど、被災していないひと、、、 そこの意見もどう拾うか

経済学、社会学、関心ベースがそれぞれ違うのでは

経済学的に、のだの現在の状況で(被災なくても)ワカモノの達がいきる術がなく、ハードルが大きい
医療・・・ 久慈依存 ひっっぱられている


矢守
出稼ぎ… むかしあっったアンケート、一番欲しいものの1位は、自分の部屋が欲しい。

その心は
 ひとの眼差しが怖い、、、、永山則夫


大掴みの意見、をとらえる


渥美
出稼ぎ・・・ 場所や時代によっても、個人によっても印象が違う、新潟できいたら  遊んできたよ 的な、 錦鯉で儲けた村のひとの意見




@弘前
おばあちゃんでも生活基盤ある
船乗りしていたからーーーとか。

ワカモノが一時期でも久慈で働く、という久慈の機能


上手く回っているモデルケース、つくらなくては
玉川鉱山時代、昭和2-30年代が最も盛ん 45年閉山 最高期の人口は1万人近かったのでは?

個々人の生活パターンを描いてみる
産業構造



制度的になにかできないか?
久慈に一人の弁護士のみ


この村のカンジ、ひとりでも大丈夫な感じなんですよー 寛ぎゅ

野田村のエリア(photo)
山のほう 入植開梱 ふんばる 頑張るというエリア
玉川ー鉱山 漁業
安家ー譜代とのつきあい
城内ー商業

出てみて初めて分かる良さ のだむら
(どこでも同じでしょう、日本だってそう)

塩のみち
内陸方向との繋がり


以前は横合にも小学校、中学校があった


国の海産物加工所は10年もたなかった

特産品はかってに銘打って作っている・・・ 野田塩
そして塩となにか・・・・ collaboration
以前物産品店で野田のものが無かった・・・  いまで2割位かな、 久慈や他の岩手、で製造



震災後 かわったこと
自分が頑張らなくては・・・という地元の人が見えてきた、
自分意識だったのが村単位にも考えられるようになった?
住民も考えなくてはならないのに、色々な面で先走って来ていたかもしれない。


野田村の産業政策はあったけれども、項を奏しておるとはいえなかった。
(以上貫牛さん)


こやーー
産業政策、人口政策とられていたのか?
野田から出ていったひと、一番欲しかったものは何だろう

戻ってきた人もいただろう・・・



野田の補助金の使い方ー
どうだったのだろう?
その効果はあったのか、政策に関してはその数値は見れる



付きそうこと、寄り添うこととして研究をつかえばいい
記録としてのこすことが、できないか、 それが研究の目的
研究のための研究にしない

20年後にいかせることではないか


過疎は本当に困ることなのか?
そこの検証も必用なのでは?


復興計画にかんして・・・
役場主導
住人懇談会は開催されている


全体像が描けるか?
5地区がそれぞれ見ている夢をみれるか


佐藤
支援活動と研究部門をわけずに、一緒に活動を行うことを前提にしたら。
体操、ストレッチ、お茶会、写真、炊き出しとともに、話を聞くことによってアンケートとする


渥美
仮説カルテ、つぶやきカードなど サンプル作成済み

それのヴァージョンアップを
そこに落としこむ形で、意見のフィードバックを


今後
アンケート、意見徴収のシート作成
貫牛さん、村のひとの意見を取り入れる作業を



10/22, 23産業まつり

11月  登山会 弘前大

12月 JAZZは??? 今後調整

次回はメールで

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